2017
07.26

「羽根と根」6号を読む

若い歌人たちが編んでおられる同人誌・「羽根と根」6号。
もう6号にもなるのだと思う。
参加している人たちの不断の努力があってこそ、
6号まで続け、そして刊行していっているのだろうと思います。

今号は歌作品と、中津昌子さんと寺井龍哉さんの前号評があって、
とても読みごたえがあります。歌歌にも佳品が多い。

ゼラチンに匙をさしこむ羊水のさらに増えたる姉と並んで
                          坂井ユリ

入口のとこで待ってる盛り塩の器にガムが吐き捨ててある
                          中村美智

サイダーで君の手指を洗ってく錆びた水道場にすわりつつ
                          橋爪志保

言い過ぎてしまったことを朝方のしめった草に触れながらおもう
                          阿波野巧也

貧乏にならないために買えなくてすべるすりへっているヒールは
                          今井 心

使い捨てマスクの中の舌打ちがなかったことになる向かい風
                          佐伯 紺

雨水が垂れてくるのをさけながら高架を抜けて駅があるはず
                          牛尾今日子

関係を名づければもうぼくたちの手からこぼれてゆく鳳仙花
                          佐々木朔

それぞれの人の歌。
小さな気づきと毎日、ということに少し立ち止まる、考えることが
とても苦しいし、あるいは無駄だし、またはとてもかけがえのない。



ご紹介が遅くなってしまったことをお詫びしたい。

参加者の皆さまが、ご自分の歌の道を灯しつつ
颯爽と歩まれてゆかれることを祈っています。






2017
07.25

遠藤由季さんの歌集『鳥語の文法』

かりんに所属する、遠藤由季さんの第二歌集『鳥語の文法』(短歌研究社)。
第一歌集『アシンメトリー』から7年ぶりの歌集です。
1ページずつ捲っていくと静かで、でも芯のある歌歌に出会います。




風立ちてわが額へと注がれる落ち葉の痛し洞ならざれば

鬱の字を一画ごとに摘まみ抜き息吹きかけて飛ばしてみたし

ガラス戸に翳り映れるわが顔もわが顔 鳩が白く過ぎりぬ

感情が苦く逆流してきたり梅の枝ぎしぎし空へと伸びて

スカイツリー届かぬものを最初から視野に入れない生き方もある


世の中の具体的な事象について声高に叙述するのではなく、
身めぐりの思いや関りを細部まで見つめて成立した歌集です。

一首ずつが確実に立ちあがり、しっかりと読ませる作家だと思う。
全体に重い雰囲気なのは、否定形、または否定的な要素を
多用した文体にあるのかもしれない。
ここに挙げた歌にも「痛し」「鬱」「翳り」「逆流」「届かぬ」「入れない」などが見て取れる。
それは、やはり作者の実際の心象が反映しているからなのかなと感じます。

大地をしっかりと踏みしめて立つ女性を見るような歌集。
ぜひお読みください





2017
06.14

岩尾淳子さんの歌集『岸』を読む

未来短歌会に所属する岩尾淳子さんの第二歌集『岸』が刊行されました。

昨今、歌に奇を衒ったり、つくりこんだり、
またはイデオロギー一色であったりという
なにか過剰なものへの関心が寄せられるなかで、
岩尾さんの歌集『岸』は短歌ならではのしみじみとした感興を呼ぶと思う。


夕暮れて野球部員の均しゆく土より冬の背すじが浮かぶ

子を産んだ朝もあったな母がいて青鷺みたいにわたしを見てた

あらかじめ空には傷があることをきれいな鴉が教えてくれる

夏帽子かぶり直せばあこがれのように広がりゆく川の幅

ふつかほど家を空ければ花茎のすうっと伸びているアマリリス



教師として若い人たちと接する日々、ご両親と長くながく住む町の記憶、
そしてご自身とそばにいる方たちの生が
ほつほつと語るようにつづられていきます。
短歌を詠み、そして読者として読むことを改めて考えたいと思う歌集です。

水彩画のような淡い色彩と透明感が漂った装幀もすてきです。
さびしくて、でも静かな感じに身をひたすような。

ぜひお読みください。


2017
06.05

大松達知氏歌集『ぶどうのことば』

第4歌集「ゆりかごのうた」で牧水賞を受賞された
大松達知さんの最新歌集『ぶどうのことば』が刊行されました。

前歌集が育児の歌に占められていたのに比して、
本歌集は、教師として、父親として、夫としての何気ない日常に
題材を求めておられます。


おやすみを言はずに妻が寝てしまふ家族三人になつたころから

いちにちの心の疵によく効いて手足ぬくめるお湯割りの芋

不作法を新しいねと言ひかへて高校生に迎合すこし

妻の機嫌、娘の機嫌とりましてわれの機嫌は<白霧島>がとる

つきつめて思へば人と暮らすとは人の機嫌と暮らすことなり


家庭を持つこと、そのなかでの「相手」との関係性が
子を持つこと、子が育つことで見え方が変わってくる。
仕事は脂がのっている時期、しかし悩ましいことも多々ある。
中年に達した主体の溜息や喜びなどが、とてもあたたかい視点で描かれています。
社会との関りというのは、なにも社会問題に取り組むことではなくて、
こうして日常のさまざまから社会に繋がっていくのだとも思う。

「あたたかい」とはどうして思うのか。
しかし、とてもほっこりと、嘆いてはいるけれど
とてもほんわかと、日常がそこにある感じが、
心にしみ込んできました。

装幀には、真田幸治氏によるぶどうの蔓のような、
音符のような素敵なデザインがあしらわれています。
五線譜の上に踊るぶどうの粒粒は、家族が奏でるメロディのようだとも思いました。
楽譜を追って、(ここからは妄想ですが・・・汗↓)
モーツァルトのメヌエット(ニ長調 k355 とか・・)の明るくて清楚な曲を想像しました。
内容とぴったりです。


とてもよい歌集です。
ぜひお読みください。









2017
01.05

染野太朗歌集『人魚』を読む

まひる野に所属する染野太朗さんの第2歌集『人魚』。
ファンには待望の歌集であったのではないか。





しかし、印象はかなり違っていた。
・・・・「印象はかなり違っていた」という読後感はどこから来るのだろう、
というのは、
おそらく、作者である染野太朗さんの快活さをよく見知っているからだろう。

この『人魚』での主体は、どす黒い心を抱え、いつも抑圧されており、
例えば生活は離婚を経たりとうまくいかず、
日常としての性欲も満たされなかったり、すべてにおいて空虚で充実がない。
というよりそんな努力ももう放棄した虚無のかたまりとして主体がある。

そんな主体から産み落とされている歌には、「足がない」。
泳ぎ続けるしかない、人魚なのだ。
とても切ない。

ぼくの知らぬ過去が散らばる 教室の後ろでふいに筆箱落ちて

ぐいぐいと引っ張るのだが掃除機がこっちに来ない これは孤独だ

さびしさに濃淡がありぎんなんのにおいの中を蕎麦屋まで行く

セックスをいくつか思い出しながら満員電車の揺れに耐えいる

さくら咲かぬ春を生きたし水鳥の短い首を見つめるだけの



主体の持つトーンは、全篇ほぼ変化がない。
読み手が期待してしまう物語的な救済はついに現れない。

苦悩というものが、描かれて清らかな装幀に包まれるとき、
この歌集はもっとも残酷な歌集になったのではないかと思います。


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