2017
02.17

2月に思うこと・傾れる人たち

Category: 思フコト
短歌結社「氷原」の主宰であった、石本隆一氏の
評論活動の集大成、『石本隆一評論集成』(現代短歌社)が出た。

さきに刊行された『石本隆一全歌集』とともに、
紡いできた歌業を俯瞰可能なものとするとともに、
歌人研究もさらに進むことが期待される。

本集は八章にわかれ、歌人論、随想、作歌指導など多彩な内容だが、
このなかでひときわ印象的なのが、
石本が担当していた当時の時評を収めたⅣの「短歌時評集」である。
文芸誌・短歌総合誌・新聞など、その執筆の場も様々だが、
石本の姿勢はつねに一貫している。たとえば


報道記事や映像の単なる印象断片を歌にしつらえて、
進歩的文化人たるための免罪符としようとするものもいるだろうし、
せっかく鬱積しているエネルギーを手軽に排泄してしまう歌人が多くなれは、
本質的に、かえって有害であろう。
めいめいの片隅の生活のなかには、
ベトナム問題以上に凝視して訴えるべきものはないのであろうか。
何よりも短歌はいかなる道具にも供されてはなるまい。
「ベトナム詠」(昭和四二・四)
                文藝春秋「短歌」時評


などと、そのときの社会を揺るがすもなんらかの大きな問題が勃興したとき、
歌壇の人々が容易に一方向へ傾れていく性質を持ちあわせていることへの危惧が見えてくる。

石本が角川「短歌」の編集者であったり「氷原」の主宰であったりという、
ある意味で中庸で広汎な視点を要求される
社会的な位置にあったことを差し引いても、
つねに目の前の「俗」が今、何を欲しているか、
そしてその是非について、を
よく見極める透徹した視点を持っていたことが明らかだし、
この視点は大きく社会が動く現在においても等しく通じる点があるように感じる。

2017
01.17

1月に思うこと・無意識な当て嵌め

Category: 思フコト
『現代短歌』二月号の特集は「沖縄を詠む」。
2月5日に沖縄で開かれるシンポジウム「時代の危機に立ち上がる短歌」と呼応しており、
頁に渡る総力特集である。
沖縄在住、県外を問わず、幅広い世代に執筆者の枠を拡げていて
読み応えがあった。

読み進めていくうちに次のような歌に出会う。

熊本と沖縄を行き来していると告げるあなたは外国の人  久保まり子「仮想沖縄」

手のひらを合わせただけでさようなら私は今日もここで生きてく  當銘さゆり「日常」

たとえば、これらの歌歌から見えてくるものは、本土の人たちへの冷めた視点である。
沖縄が抱える諸問題に取り組もうと意気込んでやってくる人たちを、
そして滞在が終わり去ってゆく人たちを
もうこの人たちはこれまでに何度も見てきているのだろう。
こうした感情が形成されるに到った来沖者の姿勢を、
筆者は今も深く疑わずにはいらない。
それは、原発事故に苦しむ私たちの姿とすっかり重なったからでもある。

少し前の論考になるが、中山昭彦は
「〈アイヌ〉と〈沖縄〉をめぐる文学の現在」のなかで、(岩波講座・文学13に所収)
「日本人」向けのマスメディアが構成するステレオタイプの「沖縄」像が
現地の人自体にも内面化され、そのイメージを逆転させる努力が、
さらに沖縄の古来からの独自性や個性を消去・逸脱させるものでしかないという
二重拘束があることを指摘している。

たとえば、なぜ沖縄の人は「基地の押しつけ」に対して憤るのに、
それを本土の詩型である短歌で詠うのか、既にそこに沖縄植民地支配からの
同化政策の影響があって、その詩型を使って歌えば歌うほど、
沖縄という土地の持つ苦悩は消えていくほかないという矛盾をずっと抱えているのだ。

支配的な日本語という力は、すでにして沖縄の少数の言葉を多く蝕んでおり、
今また、短歌という視点に立って再びあるいは三度沖縄の人に「語らせている」だけでしかなく、
そのことについて多少、琉歌のことはでてくるものの、
今回の特集でも触れられることはなかったに等しい。
ゆえに、この二つの歌歌を単なる本土の人たちの
取り組みへの諦念とみてはいけないのではないか。

きたるシンポジウムで、「日本人」が知らずして嵌め込む、
表現の累々としたファッショについても議論されることを期待したい。
(まあ寸分もそんなことはないでしょうが。。)





2016
12.17

12月に思うこと・国語と日本語

Category: 思フコト
先月出た、藤井貞和氏の『日本文法体系』(ちくま新書)がおもしろい。
2010年刊行の『日本語と時間(時の文法)を辿る』がとりわけ時制に対して
焦点をあてて説いていたのに対して、
こちらは「日本文法」全般をほぼ網羅してある。










藤井の基本とするのはもちろん学校でわれわれが習ってきた文法だから、
誰もがもつ知識を元にして、大いに藤井の思考のあとを辿れる。
助詞・助動詞(本文では助辞・助動辞という表記)はもちろん、人称の問題なども触れてある。

しかし、筆者は少しこの書籍を読んで、戸惑うこともまた多かった。
たとえば、国語文法はもちろん、国語としての文法なのだが、
日本語としての文法からのアプローチはなかったのだろうか、という戸惑いである。

日本語としての、というのは、
日本語を母語としない人々に日本語のからくりを
伝える場合に、日本語という体系を説明し得る方法論であって、
現在も、多くの場面で、「日本語」は教えられているはずである。

しかし、短歌の世界にいる人たちもなぜか「日本語」には手をつけていない。
学校文法下での品詞解析で終わってしまう。
それは意外でもあるし、もつたいないことでもある。
日本「語」文法からのアプローチはどうか。
きっといまの口語短歌の文末の問題、「た」「~だろう」「~でしょう」や
やりもらい(自他の関係性構築)、
一首の中の時間軸の問題がうまく説明できるのではないか。

藤井のこの著は、全能的、一見革新的ではあるけれど、
従来の域を出ない。それが自分には惜しまれるし、
日本語を教授している人は多くいると思われるのに、
それを歌にあてはめて説く人は現れていない。

それはそれで、また異なる「場」の問題が存在するのだと思われるけれども。
この話はまた違うところで書きたいと考えている。












2016
11.17

11月に思うこと・自分の文体を

Category: 思フコト
今年も各総合誌の新人賞が出そろった。

選考過程が誌上公開されているのは短歌界のいいところで、
選考委員のナマなやりとりはいつでも衆目を集めるものであるようだ。

しかし、これも毎年恒例(なのだろうか?)のことなのだが、
選考委員の一言一句に何かしら引っかかる部分があるようで、
ネット界隈ではその文言に対してプチ炎上してしまう。
今年も、であった。

正直、筆者は「またですか?」と思ってしまう。
いや、その口火を切る人は、炎上させることも計算の上でなのかもしれないけれど、
もうベタな流れのひとつでしかない。(いや、炎上じゃなく、
議論ですよという方々も居られるだろう。でも自分にはくだらん炎上にしか見えないです)

新人賞は、賞である以上、選考され、賞をもらう応募作品もでてくれば、
振り落とされる応募作品も必ず発生する。
選考は、編集部によって選考のうえ指名されて受諾した、
たった数人のやとわれ選考委員による価値観の選抜だ。
臨場したその「場」の目に見えぬ流れのようなのもあるだろう。
たった数時間の選考で、、数人の価値観が、その年の「新人」のゆくえを左右する。

「それだけ」なのに、なぜ一喜一憂するのか。
数人の選考委員の歌人全員がそっぽを向いた作品であっても、
実はその他の一般の歌人全員が賛同するすばらしい作品なのかもしれないのに。

自分は選ばれた・選ばれなかった、褒められた・貶されたからといって、
大喜びし、落胆している人こそ、
その「場」やシステムに飲み込まれやすいのだ。

新人賞なんて、長い短歌活動のきっかけの一つに過ぎないし、
ちょっとした通過点に過ぎない。
実際に「○○賞受賞」の勲章を貰ったからと言って、
その後が何一つ確かに確定するわけではない。
その後がダメなら、本人がやめなくても消える。存在感はすぐになくなる。
それだけのことだ。

言動のひとつひとつに一喜一憂するのはやめて、
自分の文体、歌を大切に育てていく時間を少しでもとったほうがいい。
それでも憤るなら、以前にも書いたけれど、正式に面会するなり、
連絡を取るなり、自分からリアルな場での議論の場を設定するなり、
具体的な、生身のコミュニケイトの方法を探ればいい。


新人賞応募から何を学ぶか、模索している人は、
どんな作品が選ばれているかを分析して来年の賞を取りに行くのではなく
選考過程で、委員の言動の中で
自分がよい、ああそうかと思ったところだけを「参考」にすればいい。
それもあくまで、自分の作品への「参考」にしかならないし、しない。
たった数人の「権威ある歌人」の考えなんて、参考にしかならないのである。

作品の価値を決めるのは最後には自分自身なのだ。


ぶれるな。かまうな。
すべては、誰でもない自分の文体を完成させるために。












2016
10.17

10月に思うこと・何処で言うのか

Category: 思フコト
映画「シン・ゴジラ」で、ゴジラ鎮圧に尽力した自衛隊幕僚長(國村隼)が、
その功をねぎらう相手の言葉にこう答える場面がある。

「礼はいりません。仕事ですから。」

任務を果たしただけ、というセリフは
幕僚長ではない「私」というひとりの人間としてではなく、
完全に「公」から、公人として発せられたのものである。
これもまた「シン・ゴジラ」のリアルさを醸す要素のひとつとして、
いかにも震災以降に露出の多い自衛隊の巷のイメージをうまく映しだしている。

そして先日、お気持ちを表明された天皇は、
「象徴としての務め」ということをおっしゃった。
自分はこの「務め」ということに少なからず驚いた。
その存在自体が象徴だと認識していたので、
天皇が公私は別ですよ、
務めを満足にできなくなったら象徴ではないという内容だったからだ。

かの震災のときのお見舞いも
私たち被災地にいる人間は、とても励まされたのだけど、
ああ、それも「務め」だったのだなあと思うと、
「礼はいりません。仕事ですから」というセリフと重なった。

いつからこんなに公私を明確に区別するようになったのか。
私の「お気持ち」を公が冷静な面持ちで話す、という構造をいつから獲得していたのか。
いや私だけが気付かなかったのか。

振り返って短歌の私性についても考えてみると、
周辺の概念が何にあたるのか、ここへ来て分からなくなってしまった。
すくなくとも私性は公私陸続きであったかのように認識していたのだけど、
その概念も時とともに遷移して、認識自体の共通理解がつねに流動している感じがある。
だからこそ、なにかの折に議論がかみあわないし、一定の着地点も得られないで、
すりあわせで終わることが多い。
もう一度整理して考えてみなくてはならないのかも知れない。