2011
02.26

新版 左川ちか全詩集を読む

昨年末に刊行された、佐藤弓生さんの『薄い街』の巻頭に
詩人・左川ちかの詩論が収められています。

佐藤さんの『薄い街』とほぼ同時期に、
かの、左川ちか全詩集の新版が出ました。
じつに前の刊行(1983)から27年ぶりとなります。

左川ちか 002

左川ちか全詩集・新版(森開社)




昨年11月、左川ちか生誕100年を記念して復刊されたこの新版には、
拾遺詩篇などが新たに収められています。

彼女の詩には繰り返される文体の癖があって、
「緑」が圧倒的な生命の象徴であることもそうなのですが、
「○○に捨てられる」という言葉も又、登場します。

ここでは「緑」という詩と「海の天使」という詩の終わり方について。

「緑」では「私は人に捨てられた」とあり、
「海の天使」では「私は海へ捨てられた」とあり、類似した終わり方です。

しかしながら、「海の天使」の解題を参照すると、
ここでは、「海の天使」は「海の捨子」と言うタイトルで別に発表されており、、
「私は海へ捨てられた」と言う部分は「私は海に捨てられた」となっていたことが分かります。

なぜ「に」と「へ」と替えたのでしょうか。

「に」は到着点を、「へ」は動作やものの目標点を表すという
細かい使い方があって、作者はどの程度この格助詞について
考慮していたかわかりませんが、あきらかに何かを感じて
替えたと言うことはいえると思います。


「海へ」は海の方へ、というニュアンスですが、
「海に」は海という場所に、と特定しているように読めます。

作者は小樽出身で、海は作者のたいへん身近な存在だったという
コンテクストも考慮すれば、海は故郷ということも言えるでしょう。
故郷から捨てられた、それは、自分の居場所が
ないという不安定さを意味しています。



また「私は人に捨てられた」は
「人から」捨てられた=見捨てられた、
と解釈してゆくのが普通かと思いますが、
「人に」という使い方から、
「人」という場所、「世間」と言う場所と
読み取ることはできないでしょうか。


故郷からも、世間からも捨てられた作者は
居場所のない、不安定なままの感じを抱いています。
それは緑という表象の色で表され、
圧倒的な不安に飲み込まれてゆくのではないかという
作者自身のおそれとして
描かれているとわたしは感じたのです。



まあ、これもただの門外漢の独り言。
詩の人が見たらなんのこっちゃかもしれませんが・・


とてもすてきな詩集。500部限定版だそうですので、
入手できて幸運でした。















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