2012
10.08

角川『俳句』公開「合評鼎談」&創刊60周年シンポジウム

Category: 歌の会
10月7日、角川本社ビルで行われた、
角川『俳句』公開「合評鼎談」&創刊60周年シンポジウムに聴講へいきました。

創刊60周年、おめでとうございます。

DCF00061.jpg


第1部は俳人の高野ムツオさん、中西夕紀さん、井上弘美さんが
角川『俳句』前号掲載の作品を取りあげながら批評されていきます。
短歌と違って、一瞬ずつの鮮烈な事象の把握の仕方に大いに刺激を。

俳句は鋭い眼力のようなものがないとできないなあ・・難しいのだなぁと感嘆することしばし。

矢島渚男さんの
みな過去へ呑みこまれゆく楸邨忌

星野高士さんの
晩夏なり改札口の最後尾

という句がとても印象的でした。
(↑テキスト手元になく、句の表記が異なるかも知れないです。申し訳ありません)

第2部は俳人の高野ムツオさん、詩人の和合亮一さん、歌人の佐藤通雅さんが

大震災についてそれぞれの詩型の立ち位置から概観されました。

俳句では震災の様々を捉えるときに、
季語というのが適当でなく、無季にならざるをえないこと、

詩では
シュルレアル的、いわゆる現代詩を書いていたが、震災によって瓦解し、人々の求めている詩を書くようになったこと、

短歌では
新聞歌壇の大衆、名もなき人々の歌に圧倒されたこと・・

などなどがそれぞれの先生によって語られたのでした。


質疑応答のときに、俳人の上田信治さんが和合さんに

作品の価値は感情の絶対量で決まるのか。和合氏は詩人ではなく語り手になったのではないか。

という鋭い質問をされました。

和合さんは

不確かすぎる世界の中で、現実に唯一信じられるものは生な感情なのだ、ということを

おっしゃっていました。

上田信治さんの質問は、以前から詩型に携わる皆さんがきっと考えられていたことだろうと思う。
がつんといってやってくれという気持ちがしました。
わたしも上田さんのようにはうまく言葉にまとめられないでいたけど、
そんな感じのもやもやをずっと思っていた、
そして和合さんの答えもまた、この詩人はそう考えているのだな、
ということが強く伝わってくるのものでした。

表現というのはここへきて千差万別になってきていると思う。
王道はない、正解はない、そしてしてはいけない、と思いつつ、

だがやはり、なにかよりどころとなる強いものがほしい、
と思ってしまいます。
詩型に携わるみなさんのお話が3詩型まとめて?聞くことが出来たことがとても有意義でした。

様々に考えてしまうひとときでした。ありがとうございました。


あと、こっそり。ひとりごとめいて、ですが、
この会のもう一つの楽しみは聴講者による投句もあったのですが、
題は「新米」か「角」でした。わたしも作ってみたけど、
門外漢で恥ずかしくて投句しなかった。

新米や読みさしてゐる本の峡

ってどうですか~(よしあしが全然ワカラズ・・)

この句は、新米のごはんが炊けたので、読んでいた本をほっぽらかしで
ご飯を食べにいき、机の上の開きっぱなしの本の真ん中が
峡谷のように蔭さしていた・・
という感じにしたかったのでしたが。

これはこれで(恥)。。。






Comment:0  Trackback:0
back-to-top