2014
08.15

八月ニ思フコト・生涯学習?

Category: 思フコト
 結社の全国大会開催たけなわである。

年一回、あるいは数年に一回催される結社主催の全国大会は、
結社のアウトプットの場として、おのずとその結社が目指す方向性が見えてくるように思う。

 大会には結社の加入者だけを対象したクローズの形式、
初日などに結社外・一般を対象にオープンにした形式もあって、
部外者も気軽に参加できるようになっている。 

まもなく開催される大会でいうならば、
例えば「未來」や「塔」は、こうしたオープン開催のかたちをとる。
「未來」は大会一日目に堂園昌彦氏を招聘し、大島史洋氏との対談を行ったり、
斉藤斎藤氏を迎えてシンポジウム形式で現代短歌のここ十年の流れを振り返るという。
「塔短歌会」では六十周年ということもあって、高野公彦氏を招聘しての講演や、
哲学者の鷲田清一氏や内田樹氏を招聘して主宰の永田和宏氏を交えて鼎談をおこなうという。
どちらもそれぞれ短歌に関わる人なら興味をそそる内容である。

 
オープンにする意味合いは、
「人事は社内だけで行ってはならない。これは原則である。マネジメントには外の血を入れることが必要である。それは独善や社会からの遊離を防ぐために必要である」P・F・ドラッカー(『現代の経営』)
などでよく聞いた言葉のように、結社の閉塞感だとか、固定化を防ぐといった理由があるだろう。
また「外部の血」を導入することで、組織の停滞を打開したり、クローズでやる以外の新しさを感じさせ、大会参加の充実感を促す理由もあるだろう。

 この「塔」の大会の一般募集は早々に満員御礼となり、
その内容に注目が集まったのは明らかだった。
鷲田・内田という当代の著名哲学者との鼎談という、
よりジャンルを越えた話をきくことが出来る新しさが衆目を集めたか、
(もちろんこの企画には永田氏の人脈もあるだろう)
筆者が強く感じたのは、短歌にいくらかでも興味関心のある人は、
大会というお祭り的なハレの「場」においては、専門性を備えたシンポジウムよりも、
短歌以外にも裾野を拡げた、肩の凝らない辺りが繁盛する傾向をもつということだった。
 主宰の永田和宏氏は、直近のインタビューのなかで、こう述べている。
  
      主宰者を含めて、雑誌は特定のスターのためにあるのではなく、
     会員のための「場」なのだとひそかに表明したかった。
           (中略)
      若手とは年齢的にも離れている。彼らがこちらを向くように仕向け
     ているようでは若手は育たない、私はここよと言っているようでは駄
     目なんです。必要になって向こうから来るときには、相談に乗るが、
     それ以外は私のもとにいることさえ意識させないこと。
                         『現代短歌新聞』八月号


 これは「塔」六十周年にあたっての発言なのだけれど、
「こちらを向くように仕向けない」のが、大会の趣旨にも浸透しているように思う。
 永田氏は会員や若手の育成の姿勢にも触れ、
また、大会でのベビーシッター設置といった独自の取り組みも紹介している。
どんな世代にも寛容で慈愛深い間口の広さがつよく感じられる。


 「生涯学習」的なもの。
いわば結社は一昔前までの厳しい師弟関係からうまれる教育機関や結社の伝統継承という役割は薄まって、
短歌のみに拘らず、自らの生を豊かに過ごすひとときについてを大きく掲げ、
受け手側のひとが何かしらの充実を得ること、
そうした全人的な、生涯学習志向が好まれる傾向があるように感じられる。


 もうひとつ考えてみたい。
俳句の「澤俳句会」が発行する句誌『澤』の七月号の特集は「五十歳以下の俳人」であった。
非常に長大な分量で活躍中の若手俳人たちを紹介しており、瞠目の特集だった。

 しかし、一方で、「若手」と呼びたい俳人がすでに絶滅危惧とされて久しく、
年嵩の俳人たちは、
「俳句という詩型にとって、今新人は誰なのか、どうなっているのか」
「若手全体を見わたしてみたい」(小澤實氏)という、
レッドデータならぬ総覧を作成して、
ぜひすべて網羅・把握しておかずにはいられないといったような
必死な切迫性が短歌以上に感じられたのだった。

        小澤 龍太はじめ大正十年前後生まれがぞくぞくと
            没したことに寂寥感を覚えていました。
            それがいつか新人登場の時代になっていたわけですね。(中略)
            十年後の俳句の風景はわかりません。心象句全盛がどう変化するのでしょうか。
            変化しないのでしょうか。それ以前にぼくは生きているのでしょうか。
            命を惜しみつつ前に進むしかありません。


 上田信治氏と「澤」主宰の小澤實氏との対談。
膨大な「若手」データに対峙し、同時代性のありかや作品傾向を鋭く分析する上田信治氏と比して、
主宰の小澤氏の発言は何となく心許ない。
今後、俳壇の作品傾向や結社がどうしていくかについては依然未知数のままだったが、
若手という人材不足の不安は明日の短歌界の姿とも重なるわけで、
マネタイズされない価値を多く含む結社という「場」をどのように使っていくのか考えさせられるものだった。

 大会というアウトプットから見えてくる「好まれる短歌の世界」の在り方、
そして後継不足かもしれない不安に苛まれる俳句の世界。
そこには不思議と人材を包含する結社のありかたといった根本的なものが横たわっている。

 深い専門性ではなく、カルチャーセンターに通うような、ゆったりとした「生涯学習」的なもの。
寛容を持ち、だが代謝よく、反射神経よく、根気強く、といった、
いたってわがままで欲深なリベラルさが今後さらに結社には求められていくことを予期させるようにも思われた。