2015
05.16

5月に思うこと・新しい出版のかたち

Category: 思フコト
あいつぐ復刊・創刊の動き。
2009年に夭折した歌人・中澤系の歌集『uta0001.txt』の復刊と、
福岡の書肆侃々房がまたもしかける「現代短歌シリーズ」の発刊である。


中澤系の歌集の復刊のいきさつとそのプロセスについては、
このプロジェクトの立ち上げから関わってきた未来短歌会の本多真弓さんがtankafulサイト
http://tankaful.net/category/series/fukkan  に記されている。
これをよめば、実に根気強い一個人の公私にわたる尽力が、新刻版として結晶したことが分かる。
復刊やその内容については他でも既に論じている方があるので、ここでは述べず、違う視点で考えてみたい。


 たとえば、このたびの新刻版の中澤系歌集ではこれまでの歌集出版の際に多くの部数が選択された読者へ配布される「謹呈」という慣習を使用していない。読みたいと思う読者は書店店頭やネット店舗でそれを入手する。「謹呈」による受動的な読者ではなく、能動的な読者によって、今度の新刻版は読まれる。
 

 また、書肆侃々房の「現代短歌シリーズ」にはすでに30余名の歌人が参加に名を連ねている。既存の「新鋭短歌シリーズ」とともに、元来の歌集出版の形態を覆す試みを、新しい歌集出版の形態を九州の出版社が仕掛ける。「新鋭短歌シリーズ」の募集要項でも話題になったが、自費出版とは規定しがたい、商業出版の色合いが濃い形態で刊行される。さらに参加する歌人も興味深い顔ぶれであり、これもまた能動的な読者によっ多く購入されることになるだろう。


 一人の歌人が含む「物語」が大きいものであるほど、その歌集は多くの人の興味を引くものとなる。もちろん歌集の内容が面白くなければ、話題にならない厳しい世界でもある。この特殊な世界においてのニッチな部分を上手に拓いていく手法こそ、今回の復刊やシリーズ化する新しい歌の世界を拓くことにも繋がっていくようにも思える。


 電子書籍や、ネットなど代謝の早い読書環境のなかで、今、本当の名著というのが読者には非常に望まれているのではないか。いい歌集なら買ってでも読みたい、読み継いでいきたいと思える歌集を、読者は欲している。
 謹呈もまた読者と出会うひとつの方法ではある。だが、これほど読者のニーズや環境が多様化したなかで、自らの作品を広く「世に問う」という行為自体をもう一度、一からフィードバックして考えなくてはならないのではないか。
 
読みたい読者が読みたい歌集を読む、そしてそれを読み継いでいく、そんな当然のことがまだだったと改めて思う。







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