2015
09.01

黒瀬珂瀾歌集『蓮喰ひ人の日記』

未来短歌会で選者をつとめる黒瀬珂瀾さんの第三歌集『蓮喰ひ人の日記』。

「日記」とあるように、外つ国での日々が詞書とともに綴られる形をとっています。
異国の文化、社会情勢、そしてミニマムなコミュニティとしての自分の家族の変化、
育児事情などなど、接する異国のありように肉薄しつつ
そしてジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』をコンテクストとして往還しながら、
作者の新鮮な驚きや分析とともに確かな修辞を伴って記されています。


人はみな人食ひにして嬰児のこぶしのごとき芽を噴ける芋

紅きベレーを被れるごときポストかな時に漱石の愚痴を呑みたり

首の爛れにタルカムふればわらひをり永久に「戦後」はないのだ吾子よ

児の涙ぐらりこぼるる一滴が海に着くまでいくばくの時

恐るるごとく夜を泣き通す わが膝に泣けよ 白昼を恐れぬために



とりわけ、外つ国で誕生したお子さんの歌はいきいきとしていて、
父としての視点と愛情に溢れているように感じました。

自分は前作までのサブカルに取材した、難解かつ愉快な歌柄を想像していましたので、
この第三歌集の雰囲気には大いに驚くとともに、とても味わい深く感慨深く拝読しました。

たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できるとジョイスは言ったそうですが、
この『蓮食ひ人の日記』も現在のダブリン事情を映してやまず、
まるで自分も現地にいるように読み進める楽しみがあります。

『ユリシーズ』のなかには「ロータスイーター(蓮食い人)」も出てきますが
タイトルの「蓮喰ひ人」はむしろホメロスの『オデュッセイア』のなかのそれに近いかとも思いました。
「蓮喰ひ人」とは自らを言うことのむしろ謙遜で、ゆたかな歌の野を、確固として拡げてゆかれる
1人の表現者の姿を見たような気がする歌集と思いました。




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