2015
12.17

12月に思うこと・今年の総合誌新人賞から

Category: 思フコト
 戦後七十年の今年、短歌の世界でも邦人人質殺害事件やテロ、安保法制問題などにともなって、
以前よりも尖鋭化して政治的な視点に基づいたイベントが相次いだ。
話されていたのはいずれも、こうした社会的変容のなかで、短歌に何が出来るか、ということ。

 何が出来るか、と言われても、「短歌に何かが出来る」と認識しているところからしか、
この発想は生まれないのだが、筆者は少々買いかぶりすぎである印象をもった。
短い詩型の中に、できることは限られているのではないか。
だからこそ、いかに表現をしていくかに表現者は智恵を絞るのであり、
出来ることは限られているから、私性や主体といった概念が出てくるのだろう。
それよりもまず、誰かが右をむけばみな右を向き、
左を向けは左を向くような風潮が濃くなっているように感じて、筆者にはそれがおそろしく思えた。
 
 さて、今年も総合誌からは新人が誕生した。
短歌研究新人賞を受賞した遠野真の「さなぎの議題」は、
いたみやすい心を持つ女生徒に仮託した連作。
遠野は男性だが、作中主体は女性。
主体と作者自身の正体云々といった作品外の問題はひとまず回避されて、読み手は純粋に作品を楽しめたと思う。

夜のこと何も知らない でこぼこの月にからだを大人にされる
破られることで命を得る手紙ちゃんと破いてもらえたのかな

いずれも一首ずつ楽しいのだが、
上句→定義・認識の提示 下句→具体的行為への言及、という公式が多用されているのが少々気になった。
この公式を使って表されていくのが、自らと世界との差異だ。
世界との差異によって主体の痛みが生み出される。
青春期のモチーフがぴったりとかみ合って、統一された世界観を醸すことに成功している。

痣のないお腹を隠すキャミソール 罪を脱ぐのもまた罪であり

こちらも上句・下句の公式が適用されている歌。
「痣のないお腹」「キャミソール」の名詞による印象操作など、みつしりと構成されている印象だ。
「傷のないお腹」ではなく「痣のないお腹」にすることで、より微妙な傷つきについて表現している。

角川短歌賞は鈴木加成太の「革靴とスニーカー」。鈴木はすでに同人誌界隈では著名だった実力者。
こちらも饒舌なほどのモチーフを盛り込んで、タイトルに象徴されるように比較しつつ、
学生→社会人という微妙な時期に混在する差異を描き出す。
 
着てみれば意外と柔らかいスーツ、意外と持ちにくい黒かばん
エクレアの空気のような空洞をもち革靴の先端とがる


スニーカーは学生時代という自ら、
革靴は思春期を終えた自らの象徴であることは容易に読み取れるだろう。
鈴木は、読み手が「容易に読み取れる」ように明確な布石を組んであるのだと思う。

夕闇へ樹の体温は流れ出すヴァイオリン弾きのf字孔より


実力ある作者ゆえの手練れが垣間見えて安定感があった。

 さて、くしくも新人賞二人の作品のテーマに「差異」が含まれていたことは偶然かどうか。
自・他という二者のなかで感じられる差異。
そして自・自という同一の主体の流れの中での差異。
職場詠や社会詠といった嘱目を越えて、
根底には深く根ざした作者の心性が深く関わっているようだ。

どれだけの差異や違和感を、青春性という詠いつくされたモチーフとともに描き出せるか。
果たして、新人賞はすでに何を詠うかではなく、どう詠うか、という
方法論に特化した変革期にさしかかっているのだと思う。
もっと上の世代が、今年、こぞって自らと近接した社会についてそのまま描き出していくことに
夢中になっている間、むしろ難しい方法論を仕組んでくるのは若い創作者たちであったように思う。

待たれるのは翌年1月中旬に公開される『歌壇』新人賞作品。
ほぼ今年度内に応募された作品を概観してゆくのもまた楽しみのひとつである。



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