2016
05.17

5月に思うこと・死の影の見える歌

Category: 思フコト
最近の歌集から、歌を挙げてみたい。



大き蠅うち殺したりそのせつな翅生えてわれのなにかが飛びぬ

祖母のたべこぼしたるごはんつぶひろひさびしくなりぬ貴石のやうで 

                               『雨る』渡辺松男

蛾は降車できずにここで死ぬだろう蛍光灯に罪は問えない

病院の六角形の回廊の五周目祖母の着替えが終わる

                    『きみを嫌いな奴はクズだよ』木下龍也



一首目は昆虫と死、そして二首目は老いた祖母が、共通するモチーフである。

渡辺の主体は自ら蠅を殺し、その瞬間の内部の蠢動を捉えた。木下のそれは蛾をおもいやっている。
蛾はいずれ死ぬ。その死を思うのである。
二首目は祖母(いずれも病的である)で、零した飯粒や着替えをするのを待つ行為の時間について、
瞬間の思いを描き出す。

死は両者の作品に身近にあって、日常に溶けたように存在しているのである。
木下と渡辺は世代も違えば環境も違う。だが、それぞれの歌集は後半から
死の雰囲気が強くなってくる。渡辺は妻や自らの病のことがあり、
木下はモチーフとして死や冬、停滞するものを多く取り上げていく。

とりあげたモチーフがそれぞれに死への親近を感じさせるものであることには、
たとえば(現実)世界、周辺環境への絶望が在るのではないか。
それは小手先の生きづらさ、不全感ではない、
もっと大きくて、隣人じみた死の感覚である。

希望的な歌が読みづらくなっている空気、そうしたものを私たちは気付き、考えるべきではないだろうか。