2016
10.17

10月に思うこと・何処で言うのか

Category: 思フコト
映画「シン・ゴジラ」で、ゴジラ鎮圧に尽力した自衛隊幕僚長(國村隼)が、
その功をねぎらう相手の言葉にこう答える場面がある。

「礼はいりません。仕事ですから。」

任務を果たしただけ、というセリフは
幕僚長ではない「私」というひとりの人間としてではなく、
完全に「公」から、公人として発せられたのものである。
これもまた「シン・ゴジラ」のリアルさを醸す要素のひとつとして、
いかにも震災以降に露出の多い自衛隊の巷のイメージをうまく映しだしている。

そして先日、お気持ちを表明された天皇は、
「象徴としての務め」ということをおっしゃった。
自分はこの「務め」ということに少なからず驚いた。
その存在自体が象徴だと認識していたので、
天皇が公私は別ですよ、
務めを満足にできなくなったら象徴ではないという内容だったからだ。

かの震災のときのお見舞いも
私たち被災地にいる人間は、とても励まされたのだけど、
ああ、それも「務め」だったのだなあと思うと、
「礼はいりません。仕事ですから」というセリフと重なった。

いつからこんなに公私を明確に区別するようになったのか。
私の「お気持ち」を公が冷静な面持ちで話す、という構造をいつから獲得していたのか。
いや私だけが気付かなかったのか。

振り返って短歌の私性についても考えてみると、
周辺の概念が何にあたるのか、ここへ来て分からなくなってしまった。
すくなくとも私性は公私陸続きであったかのように認識していたのだけど、
その概念も時とともに遷移して、認識自体の共通理解がつねに流動している感じがある。
だからこそ、なにかの折に議論がかみあわないし、一定の着地点も得られないで、
すりあわせで終わることが多い。
もう一度整理して考えてみなくてはならないのかも知れない。










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