2014
05.01

京大短歌20号を読む

歴史ある京大短歌会が刊行する『京大短歌』の記念すべき20号。

OB・OGら、有力な若手歌人らが集う。活気がいい。



短歌作品も読み応えがありますが、

評論がとてもいい。

現在「批評の力がない」などと言われていますが

それぞれ書いている「場」の共有がないだけのではと思わせる。


共有がないから、ちがう「場」の人はそれを知らない。

批評の力が育たないとか、短絡的に結論を出してしまうのでは。

ちょうど真ん中にいる少し先輩の私たちがなにかできるといいなあとも思います。



「企画 京大短歌年代記」では、お互いが作品を読み解く。

なかで、
○吉岡太朗の歌について-(よう分からん)わしと六千万個の作中主体 阿波野巧也

吉岡太朗さんの作品論。詳細で誠実な分析が吉岡さんの複雑な思索を読み解くてかがりになる。


○意識的な無意識 ー土岐友浩の操作するビントー  小林朗人

新鋭短歌シリーズ第二期で歌集刊行が決まっている土岐さんの作品論。
作品のなかの「ピント」に着想していて、賦に落ちる。


○『京大短歌』総論 藪内亮輔
まさに総括。クロニクルとして大きく京大短歌の全容を捉え、伝える。
20号という歴史の右の尖端にいることの意味を考える。



「年代記」クロニクルは、振り返ったときにクロニクル化するのだと思う。
今居る執筆者はクロニクルの新時代の尖端にいて、たった今もこの20号が
それに加えられたのだと思いました。

歴史は重いけれど、また力強くもある。
またあらたな歴史をあゆんでいってほしいなあと思うのでありました


















back-to-top