2015
03.11

報告せずにいられない人たち

Category: 壜のなかみ
震災から4年、今日は各メディアも各SNS上も震災関連のものが溢れた。
それぞれがそれぞれの11日当日の思いがあり、
その思いをいたしているのはとてもよく分かったのだけれど、
「黙祷しました」「お祈りしました」「募金しました」って
なぜ自分のフォロワーに向かって行為を報告したり気持ちを表明しなくてはいけないのだろう。
もちろん気持ちはとてもありがたかったけれど。
震災に関して、何らかのかたちでコミットしていることを表さなければならないような
強迫的な雰囲気を感じて、いたたまれない思いがした。

昨年は、「今日誕生日の人がいるんですよ!?」といって、そういう雰囲気を牽制する呟きがあった。
これは清々しかったなあ。本音はここじゃないかと思う。
もっと自由でいい。物理的にも精神的にも関係ない人は黙祷なんてしなくいいと思う。
そしてSNSで「報告」もしなくていいのだ。
目をつぶって「もう一分経ったかな・・」などと考えてるほうがいやだなあと思う。
風化が進んでいるとメディアがさかんに騒いでいたけど、
人間、だんだん忘れるのが自然な流れなのではないか。

被災したわたし自身、じゃあ広島の土砂災害とか、
伊豆大島の土石流被害をずっと覚えているだろうか。
いや、忘れている。自分の被災生活を抜きにしても、おそらく薄らいでいく。
むしろ列島全体で、一丸となって、という全体主義的なムードに危惧を感じる。

なんということを言うのか、あなた方を応援しているのですよという方もおられるだろう。
いや、それを表明しなくていいのです。
支援してくださる方はずっとあの日から黙って日常を寄り添ってくれている。
それは言葉ではない。行為ではない。
被災の生活はこの日ばかりではない。これからもずっと続くのです。
テレビで特集やらなくてもいい。

人質事件のときも感じましたが、
震災以降、欲しがりません勝つまではのような、
そういう時代になっているな、と思ったことでした。
そして各人が何かしら報告・表明しなければという
雰囲気に気味の悪さを感じた日でした。









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