2015
06.18

6月に思うこと・短歌観のちがい

Category: 思フコト
『かばん』6月号の特集「突撃! 他人の短歌観」がおもしろい。
この特集は、「『かばん』有志が開いている勉強会「kabamy」の討論を経て企画されたもの」で、
なかでも十代から七十代までの幅広い年代222人の回答者を得たアンケート「短歌らしさの境界」は、
同人の人たちによって集計され、緻密な分析と評価が行われている。

実際、歌会やネットや、いろんな場面で隣り合わせる見知った人たちの、
彼らが日常体感している「短歌」について、
いったいどんな風に思っているのかというのは、案外、面と向かって聞かないものだ。
今回のこの『かばん』誌の特集は、そうした素朴な疑問からはじまって、かなり突っ込んだところまで
数字化・可視化していた好企画だった。

なかでも、文章などのリズムよい配置で、偶然57577がうまれてしまう「偶然短歌」について、短歌と見なすかという設問では
「読者が決める」というのが4割強という結果だった。読者が歌の価値を決めるという認識は、
実は多く批評の場でも一首の読みの場でも大きく存在しているのであって、
自分以外の他人が読むことによって新しい価値が歌に付加されてくることも、この「読者が決める」ことに関連している。

先頃はまた「わかる/わからない」歌の議論が活発だが、およそ半分弱の価値を読者が決めているのだとしたら、
やはり「わかる」歌のほうが幸せな回路を開いていくのかなという気もする。
だからといって、明快に分かりすぎても、一首に読者の想像力の幅や余韻はなくなるし、
まったくもやもやと分からなくても、読者が価値を決める前に拒絶されてしまうだろう。
そこは作り手のさじ加減、というところなのだろうが、
作り手・読み手どちらにも回路が開いている歌を目指すのが歌を作る醍醐味、ということになるだろうか。
双方向から参加でる短歌の世界を、少しだけきちんと整理して覗かせて貰うような企画だった。




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