2016
02.17

2月に思うこと 読みの「場」について

Category: 思フコト
先月の話になるが、ライフスタイルを提案する雑誌「ku:nel」(クウネル)が、
1月発売の3月号で大幅リニューアルを行なった。

今までのていねいに暮らしたり、
一見トリビアとも言える生活のあらゆる些細を大切に見直していく、
といったようなコンセプトの誌面を一新し、
新たに編集長に「Olive」(オリーブ)や「anan」(アンアン)といった雑誌の
最盛期に活躍した淀川美代子さんを迎えて
読者層も新たに50代女性に絞っての再出発だった。

悲鳴を上げたのは旧来のコアな読者層。
アマゾンの該当誌の書評欄には旧クウネルへの別れともいえる
静かな訣別のコメントがびっしりと書き込まれ、
(それは決して心ない「炎上」的なものではなかった)
そのことは多くの人を驚かせた。

今回のリニューアルには昨今の出版不況など、懐事情が大きく影響しているのだろう。
出版社と読者がいったんズレることは発行側には想定されるものだったろうし、
リニューアルは発行部数の停滞から脱ける起死回生の策だったに違いない。

ここでは読者切り捨てとかリニューアルの是非をいうのではなく、
このアマゾンのコメント欄に起きた現象について考えてみたい。

今回、多くの人がクウネルの大幅リニューアルを知ったのは、
このアマゾンのコメント欄の状況が
おおよそのネツト媒体を経由して周知されたことによるだろう。

「クウネルがどんな雑誌で、個人としてどんな思いを持って読んでいたか」
という、ふつうなら秘匿されて終わることが多いであろう
極めて個人的な感想ともいえる思い、各人が考えるところの「書評」が
多くの人の目にさらされる「場」となったのだ。
「ソーシャルリーディング」という言葉があるが、
まさにこの「場」は、それと同意なものとなったと思う。

読書体験の共有といった意味合いを持つ
「ソーシャルリーディング」は、おもに電子書籍上の機能として
本の文章などに付けたハイライトを任意の読者と共有する機能と、
SNSに本の情報や感想などを投稿できる機能を併せ持つ。

人と人とが読書を通じて繋がり、思いを共有すること。
本離れの時代と言われるが、逆に、読みの「場」が凝縮されているとも言える。
今回、意識的・無意識的にアマゾンのコメント欄において展開したのである。

さて、短歌に目を移すと、「ソーシャルリーディング」は
歌集の批評会や雑誌の書評欄に展開する書評が
それと類似しているといえるだろうか。

短歌関連のイベントなども、他の読者の読みを認識できる「場」であるかもしれない。
「角川短歌」は、読者からのメッセージを巻末近くに掲載し始めた。
これは恣意的選択を経て掲載されているという要素を省いて読まなければならないが、
ある読者の典型が示されているという点では面白いと言える。

イベントや批評会、そして書評欄には安定した人たちの「読み」がならぶ。
読者・聴講者は膝を打ったりあるいはもやもやしたりして帰っていくのだが、
それぞれの思い、読みというのものがもっと可視化され、
多くの世代の読者を縦断していく「場」というものが、
おそらく短歌の世界にはない。
批評会などは内輪のお祝いの要素が強いものが多い。
みなそれぞれが閉じていて、
一定の関係者だけがその場に集まって共有していく状態のように思う。

「クウネル」はひとつの雑誌のリニューアルによって、「読者」という共通部分だけで
互いに未知の人々、不特定多数の意見が述べられた例であった。
縦断する読みの「場」を作り出すこと、
それは短歌の世界では不可能なことであるのだろうか。




















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