2016
04.01

『短歌往来』4月号・評論21世紀の視座

Category: My works
現在発売中の『短歌往来』4月号の評論{21世紀の視座へ
「東北という空間が容れるもの」というタイトルで、評論を寄稿させていただいています。

この論考は、震災五年ということで、東北の歌人の軌跡を辿りつつ、
作り手のありようを中心に東北の短歌シーンについて考えた論考です。
さきの『現代短歌』4月号での座談会とリンク・補完的にお読みいただけるとうれしいです。

東北という土地を描いてきた歌人は、「誰」だったのか。
近代と現代では、東北を描いている歌人の立ち位置が
全く異なる様相を見せているのです。

また、震災後の世の中の「余裕のなさ」は、東北にもあって、(東北から、といったほうがいいか)
その様相は排他的・全体主義的な状態であるように思う。
マイノリティは非常に息苦しいし生きづらい。
放射能に対する反応ひとつに対しても、少数意見が看過されていくのと同様です。

自分は右傾化にしろ左傾化にしろ、なんらか一方のみへ集団化することこそ
危ういと考えています。
もっと「個」で在ること、「個」で居なくてはいけないのではないか。

自分は最後の一人となっても、
これからもひとりで考えていきたいと改めて思い直したことでした。

お時間在ればぜひお読みください。




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