2016
05.11

洞田明子歌集『洞田』を読む

何と紹介したらいいだろうか。

染野太朗さんと吉岡太朗さん、ふたりの同名短歌ユニット「太朗」が
楽しい試みをおこなった。
「駅」をテーマに、不特定多数の歌人に2首の投稿を呼びかけ、
そうして集まった投稿歌は、「太朗」ユニットの手によって、
ひとつの連作・歌集としてまとめたものだ。

不思議なことに二人の編集の手にかかると、
まったく個別の作者によって創られた筈の短歌が、
「洞田明子」という一人の女性が辿ったらしいひとつの生を表出していく。
総体であるはずの歌集は、ひとりの、個体の歌集として見えてくる。

編集の妙という言葉で片付けるだけではなく
このことは「太朗」ユニットによる、
短歌が含む一人称に対しての挑戦と問いでもあるのだろう。
洞田明子=ホラ、であることが明らかな、名のコードが示すように、
この歌集は仮構であることが前提なのだ。
過去の虚構問題にも繋がっていくものだろう。

ひとつ気になったのは、巻尾に次の歌が置かれていることである。


その駅は洞田明子といふ名にてなんじふまんのわれは降りたつ 

洞田明子



巻末には、投稿歌の作者とともに、洞田明子自身としてひとつの歌が寄せられている
(ことが分かる仕掛けである。)

「なんじふまんのわれ」という語句はまぎれもなくこの歌集のテーマであるが、
こうも端的に述べる歌が置かれてよかったのか。
暗示的な巻頭の『アンチ・オイディプス』からの献辞も相俟って
総体としての洞田明子を貫いたほうがよかったのではあるまいかとも感じた。
この歌の置かれ方をどのように解釈していくかによって、様々に意見がわかれるだろう。
「歌集批評会」をやってみたらよいのでは。どんな意見が聞かれるだろう。

これまでも既存歌集のパロディなど、つねに楽しくも挑戦的な試みをしてきた
「太朗」ユニット。この歌集も反響が楽しみである。





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