2017
03.18

3月に思うこと・授受関係という他者

Category: 思フコト
書肆侃々房の「新鋭短歌シリーズ」も第3期に入っており、
このたび、加藤治郎氏監修・鈴木美紀子さんの歌集『風のアンダースタディ』が刊行された。

一読してみて、鈴木さんの歌の特徴として、
授受の関係の濃く浮きあがってくる場合の多いことに気が付く。


きみはまたわたしの角を折り曲げるそこまで読んだ物語として
                              「小さな螺子」

見えなくてもそばにいるよと囁かれプロンプターの言いなりになる
                              「私小説なら」

わたくしをおぼえていたいひとがいてうすむらさきの付箋を選ぶ
                            「打ち明けるゆび」

ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる
                             「無呼吸症候群」

一首目、きみがわたしにやること、読みかけのページのように「折り曲げる」。
「わたし」は受動である。二首目も囁かれて「言いなりになる」主体の描写がある。
三首目、「おぼえていたいひと」の存在があり、主体自身は「おぼえていたい」のかは不明である。
四首目、非常に近しい他者の病気と思われる症状を「おしえない」という主体。

挙げた歌のほかにも、他者との関係のなかから
自らの位置を描写した歌がかなり多い。

それは相聞歌とひとことで括ってしまうのではなくて、
この主体の自らを照射させる手法にあるのだろう。
主体は、相手に働きかけることは少なく、
専ら他者の関係の中にある主体自身を描写していく。

短歌のデフォルトは、主体自身を描くことではじまっていくが、
他者からのの無数の関係性を描写していくことで、主体を際だたせていく、
そんな「授受」の表現から生まれる主体の存在もあるのだと気付かされる。



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