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2017
11.19

11月に思うこと・評論という文体

Category: 思フコト
私事だが、大学時代の恩師がさきごろ亡くなり、
先週は偲ぶ会が行われるというので、出かけてきた。

偲ぶ会では学生時代には触れ得なかった恩師の人となりや生の歩み、
思考などが教え子の人たちによって語られて、
学生時代、もっとも身近であったはずの恩師の像が、
実は自分にとってひとつの断片に過ぎず、
会ではじめて恩師の全体像がくきやかに結んだような気がしたのである。

会に伺うにあたって、書棚の奥から恩師の書いた評論の書籍を取り出した。
恩師は中野重治の研究者であった。
学生時代から遠く離れて読む師の評論は、
研究者として緻密な視点にあふれ、それでいてわかりやすく
確実に伝わるように考え抜かれて言葉が選ばれているようであった。
決して難解な・詰問的な・あるいは学術的な高潔な雰囲気に覆われた雰囲気ではなかった。

そして自分は、いまさらのように思うのだが、評論にも文体があるのだと
あらためて思った。書き手の人となり、思考、伝える姿勢、
そうした「人間」は、なにも短歌でなくとも、その表出に現れる。
かりに隠そうと思っても、その人となりは確実に表れる。
恐ろしいことであり、また素晴らしいことでもある。
私たちは書いたもののほかに、
その人そのものの考える森を何度も歩くことが出来るのだから。








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