2011
03.07

『生首』辺見庸(毎日新聞社)を読む

第16回中原中也賞を受賞した、辺見庸『生首』(毎日新聞社)を読んでみました。

生首 002


中原中也賞というと、新人気鋭の詩人の登竜門というイメージだったので、
すでに活躍しておられる辺見氏の受賞は少し驚きました。
詩人としては新人ということでしょうか。


わたしが以前読んでいたのは『私とマリオ・ジャコメッリ』で、
大病を経た辺見さんの死生観に大いに刺激を受けました。
この中に収録されていた詩も改めて収められています。


2007年から2010年までの、比較的短期間に書きためられた
詩文集で、5章から成っています。
タイトルの「生首」は、団塊の世代にして、
元新聞記者(ジャーナリスト)である
作者自身が、呪詛めいたものを纏った生首となって
現世のあれやこれやを凝視し、
鋭く抉ってゆくイメージが喚起されます。
特にこの作品集を括るために書き下ろされた
2010年の作品Ⅴは必読と思います。


また、余計なことですが、
個人的には日本史で習った平将門の生首の逸話を
連想します。
「太平記」に、さらしものになった将門の首が
何ヶ月たっても腐らずに、
生きているかのように目を開けて、
「斬られた私の五体はどこにあるのか。
ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」
と毎夜叫び続けたということです。
荒俣宏さんの小説『帝都物語』でもけっこう
オカルト的に描かれていましたよね。


この『生首』も非常にオカルト的・批評的ではあるけれど、
踵をかえして自らを凝視すれば
どこかおかしみ・かなしみもあり、
それが作者の人間として、男性としての
老いや性が表出されて
描かれているところがすごいなぁと思いました。




門外漢の私には、現代詩とはいつも抽象的で
難解に思われることが多いのですが、
その点で辺見さんのこの『生首』は理解しやすい、
と言えるかもしれません。


また、印字の太さや各タイトルの大きさ、
詩文の配置なども、視覚効果を計算している。
こんなにも印字のあれこれで
印象が違ってくるのか、とも思います。

こうしている間にもH氏賞も発表されましたね。



さてさて、それにしても短歌では
このような作風は
あまり見かけなくなりましたね。
こは、いかに












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