2011
05.09

『震災歌集』長谷川櫂を読む

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もうすぐ震災から二ヶ月になろうとする5月はじめに
刊行された俳人長谷川櫂氏による『震災歌集』。

なぜ俳人が短歌を?という極めて素朴な疑問を抱いたので
購読してみました。

歌は119首(ざっと数えただけです。間違いあればすみません)
収録されており、長谷川氏は3月11日から12日間の間に詠んだ短歌を
纏めたものと前書きで述べているので、
1日平均10首ずつ作歌したことになります。

これは、私には多いかなぁ。
個人差があると思うけど、毎日10首作を10日間くらい続けることは
私自身はかなりきつい。


それほどに詠みたい、詠むものがあった、ということでしょうか。


九章に分けられたそれぞれは、
主に
震災当日の津波、嘆く人々
原子力災害の顛末
姿を見せぬ国や企業のトップ
計画停電、帰宅難民、買い占め
古今の作品から
震災に負けない自然の姿
など、
震災当日からの題材をよく詠み込んでいると感じます。




ですが、長谷川氏は震災当日、有楽町駅のホームにいたといいます。
従って、この歌はすべてマスメディアが報じた映像、
文章の類を元として作られている。

計画停電、帰宅難民について詠まれた「4章」には
長谷川氏自身の体験に基づくものがありますが、
あとは、みなテレビで見た風景と思われます。

名取川を遡上する津波の映像(NHKへりからの空撮)とか。
鳥瞰が多く、神の目線なのです。


わたしは被災地の当地にいて、
被災地を当日からつぶさに見てきましたから、
こうした作品に出会うと、正直戸惑う。

まるでその場にいたかのようだが、
実際はテレビで見た風景を詠む。
新聞歌壇や歌誌に溢れているやり方は
作者そのひとの姿を感じません。





機会詩とは。
時事詠とは。
湾岸戦争の時も、阪神大震災の時も9.11テロのときも
ずいぶんと論じられてきたことですが、
またここへ来て同じ話題か、と思うとうんざりです。

個人的には、誰もが詠める事実(テレビに映る風景など)よりも
自身の体験に即したその人自身の思いや体験を綴って欲しかった。
俳人・長谷川櫂が、俳句でも短歌でもよいから、
等身大の生々しい長谷川氏自身の姿を
もっと読みたかったなと思います。


わが家の泣き虫妻よ泣くなかれ被災地の学校の卒業式に


たとえば、こういう↑これは個人的にとてもよいと思ったお歌です。

こうなると、こうした大きな題材を歌にすることの
難しさをまざまざと感じます。
わたしには逆にこういう歌はしらじらしくて詠めない。
被災者はこんなに美しくない。
自然も美しくない。人間は汚い。ナウシカの世界のように
人間は汚物でしかないのかもしれない、
という思いが実感としてあったからです。



個人的な好みと思いますが
テレビ的な衝撃を短歌にしたらどうなるか、
興味ある方にはおすすめです。










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