2011
11.30

自分の目で見たものを

Category: 壜のなかみ
お話の続きです。


当地では放射能汚染が次第に明らかになってくるにつれて

被曝には○○がいい

とか

除去には××がいい

とかいう
民間療法的な言説が混沌と流布してきていると思うのです。



わたしは父が癌を病んでいたときのことを思い出しました。
父は膵臓癌の末期でした。もう手遅れなのは分かっていました。
でも、家族は延命のため、すこしでも楽にさせたい思いで
抗ガン剤他、薬剤について調べはじめるわけです。


そうすると必ずあるのが

○○癌にはアガリクス。

××癌にはスピルリナ。

爪もみ。

野菜ジュース。

酵素。


等々、枚挙にいとまがないほど、
「良い方法」がありました。


結局、父は死んでしまいました。
どんなことをしても
人間は死ぬときは死ぬのだ、とそのとき感じました。



今の放射能には○○がいい、という言説は
父の癌のときとまるで同じだと感じます。
みな、どうにかして自分の被曝を、不安を払拭したいのだと思います。


わたしもWBCを受けて、内部被曝をしていることが分かりましたが、
どうしても積極的に民間の言説を試して、という気にはなりません。


以前から食事と生活面ではできる限り被曝を避ける努力をしていましたが、
それでもダメで被曝していました。


○○を食べてセシウムが消えているなら、
もうとっくにみんな食べているはずです。
そんなに話題にならないのは
被曝している人が限定的で絶対数が少ないことと、
はっきりした効果がないこと。



実効があやふやな言説は信じません。
わたしはこれからも自分の目で見たものだけを信じる。
手元のガイガーカウンターさえ、正確な数字をはじき出せないのです。

何を信じろというのか。





人は、死ぬときが来たら死ぬ。
動物と同じように、人も自然の一つとして、
そうあるべきだと私は思う。

人間だけが生き残ろうと思っているのは、
人間の生命の傲慢だと思う。




今回のことでは、
人が作った発電所が
土地を大気を汚しました。
人間の他、こんなことは誰もしません。
それでも人は生き続けたいのだと思います。

なぜだろう。その傲慢さに気づくべきです。


わたしは
小鳥が凍えて死ぬように、
波が静かに満ちて引くように、
自然にさせてほしい。


それは父の死からずっと思ってきたことです。



死ぬまで生きる。

ある日死ぬ日がきて、
力尽きて死ぬ。

それだけです





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