2017
01.05

染野太朗歌集『人魚』を読む

まひる野に所属する染野太朗さんの第2歌集『人魚』。
ファンには待望の歌集であったのではないか。





しかし、印象はかなり違っていた。
・・・・「印象はかなり違っていた」という読後感はどこから来るのだろう、
というのは、
おそらく、作者である染野太朗さんの快活さをよく見知っているからだろう。

この『人魚』での主体は、どす黒い心を抱え、いつも抑圧されており、
例えば生活は離婚を経たりとうまくいかず、
日常としての性欲も満たされなかったり、すべてにおいて空虚で充実がない。
というよりそんな努力ももう放棄した虚無のかたまりとして主体がある。

そんな主体から産み落とされている歌には、「足がない」。
泳ぎ続けるしかない、人魚なのだ。
とても切ない。

ぼくの知らぬ過去が散らばる 教室の後ろでふいに筆箱落ちて

ぐいぐいと引っ張るのだが掃除機がこっちに来ない これは孤独だ

さびしさに濃淡がありぎんなんのにおいの中を蕎麦屋まで行く

セックスをいくつか思い出しながら満員電車の揺れに耐えいる

さくら咲かぬ春を生きたし水鳥の短い首を見つめるだけの



主体の持つトーンは、全篇ほぼ変化がない。
読み手が期待してしまう物語的な救済はついに現れない。

苦悩というものが、描かれて清らかな装幀に包まれるとき、
この歌集はもっとも残酷な歌集になったのではないかと思います。


2017
01.05

光森裕樹歌集『山椒魚が飛んだ日』を読む

明けましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年もできるだけ短歌について考えたこと、歌集歌書を紹介したり
していきたいと思います。
内容も日々見直してゆきたいと思います。

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今年最初に読んだ歌集は、
光森裕樹さんの第三歌集『山椒魚が飛んだ日』です。




これまで、つねに短歌の世界のキュレーターであった光森さん。
短歌の情報サイトtankaful運営をはじめとして
歌集『鈴を産むひばり』は、これまで歌集出版専門の出版社ではない「港の人」から
活版印刷の歌集を、
歌集『うづまき管だより』は電子書籍で出されています。

この『山椒魚が飛んだ日』は、
主体のライフステージの変化について主に語られていく。
結婚、移住、子を持つこと。
あるいは可視的なこうした変化の中で、自他の存在そのものについて問うているのだと思う。
名づけ、そう呼ばれることで「それ」になっていくということ。


さみどりの胎芽が胎児に変はりゆく秋を一貫して吾なりき

からだから樹液のやうな汗をふき愛するひとが樹になつてゆく

母の名に〈児〉を足し仮の名となせる吾子の診療カードを仕舞ふ

妻となるひとりを知らぬ吾がゐて湯屋よりかへる雪踏みしめて

眼帯を付けれど他人にならざればボードブックをまた読みかへす



呼称と人称の行方、そして存在としての出現前後。
一首が問いに読者への溢れている。

非常に問いを含む歌集、光森さんの新たな境地が感じられる歌集です。





2016
12.17

12月に思うこと・国語と日本語

Category: 思フコト
先月出た、藤井貞和氏の『日本文法体系』(ちくま新書)がおもしろい。
2010年刊行の『日本語と時間(時の文法)を辿る』がとりわけ時制に対して
焦点をあてて説いていたのに対して、
こちらは「日本文法」全般をほぼ網羅してある。










藤井の基本とするのはもちろん学校でわれわれが習ってきた文法だから、
誰もがもつ知識を元にして、大いに藤井の思考のあとを辿れる。
助詞・助動詞(本文では助辞・助動辞という表記)はもちろん、人称の問題なども触れてある。

しかし、筆者は少しこの書籍を読んで、戸惑うこともまた多かった。
たとえば、国語文法はもちろん、国語としての文法なのだが、
日本語としての文法からのアプローチはなかったのだろうか、という戸惑いである。

日本語としての、というのは、
日本語を母語としない人々に日本語のからくりを
伝える場合に、日本語という体系を説明し得る方法論であって、
現在も、多くの場面で、「日本語」は教えられているはずである。

しかし、短歌の世界にいる人たちもなぜか「日本語」には手をつけていない。
学校文法下での品詞解析で終わってしまう。
それは意外でもあるし、もつたいないことでもある。
日本「語」文法からのアプローチはどうか。
きっといまの口語短歌の文末の問題、「た」「~だろう」「~でしょう」や
やりもらい(自他の関係性構築)、
一首の中の時間軸の問題がうまく説明できるのではないか。

藤井のこの著は、全能的、一見革新的ではあるけれど、
従来の域を出ない。それが自分には惜しまれるし、
日本語を教授している人は多くいると思われるのに、
それを歌にあてはめて説く人は現れていない。

それはそれで、また異なる「場」の問題が存在するのだと思われるけれども。
この話はまた違うところで書きたいと考えている。












2016
11.27

角川「短歌」12月号「短歌の読みを考える」に

Category: My works
角川『短歌』12月号の総力特集「短歌の『読み』を考える」。
高木はエッセイ・私が感動した「読み」の項目で
「道徳読みの陥穽」という文章を書かせていただきました。





「読み」と簡単にはいうのですが、とても幅広くて難しいテーマです。
「詠み」と「読み」は密接に関連しあっていて、
時代の空気などもまじるとなお難しい。

30ぺージにわたる総力特集です。
とても有意義で充実。ぜひお読み下さい。


2016
11.27

ロクロクの会冊子『66』

Category: My works
40代の女性歌人が結社を越えて活動している「ロクロクの会」。
メンバーは、浦河奈々、遠藤由季、斎藤芳生(かりんの会)
        後藤由紀恵、富田睦子(まひる野)、
        沼尻つた子、山内頌子(塔)、鶴田伊津(短歌人)
        錦見映理子(未来)、玲はる名(玲瓏)、岸野亜沙子(朔日)      

そのロクロクの会が結成一周年、そして東京・文フリに向けて冊子を発行しました。
名づけて『66』。

今年5月までメンバーとして参加させていただいていた高木は、
皆様のご厚意により、短歌15首「銀芒」を寄稿させていただきました。

何より『66』の目玉は、各人が一首ずつ持ち寄って鑑賞・批評した
座談会「近現代の女性歌人の歌を読む」ではないでしょうか。
葛原妙子から現代の広坂早苗さんまで、幅広い女性歌人11人を一人ずつ丁寧に
読みこんでいる現場の模様が収録されています。
なにしろ一人一歌人の歌持ち寄りなので、話題は豊富、
なかで、自分は笹原玉子さんの歌ははじめて接したので、
とても新鮮な気持ちがしました。

先日の東京・文フリでも完売したとのことで、
大人気の冊子であったことがわかります。
在庫余分なく通販はされていないとのこと、
(自分は寄稿者執筆分をいただいたのですが、
知人に早くも渡ってしまいました。)
どうぞお手元にきた折にはご一読いただけましたらと思います。